第1章 はじめに:婚活・マッチングアプリに感じる「違和感」の正体とは?
マッチングアプリを利用していて、どこか息苦しさや虚しさを感じたことはありませんか。条件を絞り込み、写真やプロフィールを確認しながら相手を選ぶという効率的な仕組みのはずなのに、なぜか心が満たされない。その違和感は、単なる相性や運の問題ではなく、私たち自身の「人間としての在り方」に深く関係しているのかもしれません。もしかすると、私たちは無意識のうちに、人との出会いを「商品選び」のように捉え、自分自身もまた「選ばれるためのパッケージ」として振る舞っているのではないでしょうか。本記事では、マルクスの「人間疎外」という思想を手がかりに、現代の婚活市場に潜む構造的な問題を考えていきます。
第2章 婚活市場とは何か?──「条件」で選ばれる時代
現代の婚活は、「市場」という言葉で語られるようになりました。そこでは、身長や年収、年齢、学歴、職業、顔写真などがプロフィールに並び、人はまるで商品スペックのように比較・検討されます。誰かと出会うという行為は、「人間を知る」ことから、「条件を評価する」ことへとすり替わっているのです。
マッチングアプリでは、出会いはアルゴリズムによって効率的に最適化されます。スワイプひとつで相手を選び、瞬時に「あり・なし」を判断するその行為は、一見便利なように思えますが、他者を「ひとりの人間」として見る感覚を鈍らせていきます。そして、そうした環境に長くいるうちに、自分自身も「選ばれるためのパッケージ」として振る舞うことに慣れてしまうのです。
さらに深刻なのは、婚活の現場で当たり前のように使われている「格上」「格下」という言葉です。まるで人間がランク付けされ、序列化されることに疑問を持たない空気がそこにはあります。ある人は「自分は年収が高いから格上だ」と語り、別の人は「私はもう30代だから格下だ」と自嘲します。こうした言葉は、個人の人生や人間性を一切見ないまま、単純な数値や属性だけで「価値」を判定してしまうものです。
恋愛とは本来、偶然や非合理のなかに生まれるものであり、そこには明確な「格」など存在しないはずです。しかし婚活市場では、出会いが「選抜と排除」の構造に組み込まれ、人間性よりも条件の優劣が重視される傾向が強まっています。 それはまさに、人が人を「関係性」ではなく「スペック」で見る社会の縮図と言えるのではないでしょうか。
第3章 マルクスの人間疎外とは何か?──19世紀から続く「人間の道具化」
「人間疎外(Entfremdung)」という概念は、19世紀の思想家カール・マルクスによって提唱されました。彼は、資本主義のもとで働く人々が、自らの労働の成果や人間らしい生き方から切り離されていく状況を、「疎外」と呼びました。
マルクスによれば、本来の労働は、人間が自分の能力や創造性を社会の中で発揮し、他者と関係を築く豊かな営みであるはずです。しかし資本主義のもとでは、労働者は労働の成果を企業や資本家に奪われ、自らの仕事に誇りや主体性を持てなくなります。労働は「生活するために耐える手段」となり、自分自身の存在や価値から切り離されていく。これが「人間疎外」です。
さらに、他者との関係も変質します。職場では人が「競争相手」や「歯車」として見られ、人と人との関係性が分断されていきます。そして最も根本的なのは、人間が本来持つはずの「自由に考え、創造し、関係しあう存在」としての本質までもが押し込められていくという点です。
つまり人間疎外とは、「人が人として生きられない状態」を指します。人が物のように扱われ、自分の行動や存在が、自分の意志ではなく、外部のシステムや評価によって規定されてしまう――それがマルクスの描いた疎外の本質です。
この視点は、現代の婚活市場における「自分が条件でしか評価されない」という感覚や、「スペックで他人を選ぶことへの抵抗感」と驚くほど重なっています。私たちは今、かつてマルクスが描いた「工場の労働者」と同じように、恋愛という最も人間的な領域でも、「人間であること」から引き離されているのかもしれません。現代人は、仕事において疎外され、パートナー選びという個人的選択においてすら疎外されていると言えるでしょう。
第4章 婚活市場における人間疎外──「出会い」が「取引」に変わるとき
マルクスが描いた人間疎外の構造は、現代の婚活市場にも色濃く現れています。プロフィールに並ぶ情報──年収、学歴、身長、年齢、趣味。これらは一見、自己紹介のようでありながら、実際には「市場における商品ラベル」として機能しています。自分を相手に選んでもらうため、私たちはこうした項目を「できるだけ良く見せる」よう工夫し、時には実際の自分とは異なる人物像を作り出すことさえあります。
その結果、自己表現は他者の目を意識した「マーケティング活動」へと変質します。誰かと本質的にわかり合いたいという願いの前に、「どうすれば条件で弾かれずに済むか」という戦略が優先されるのです。これは、マルクスが指摘した「人間の本質からの疎外」に他なりません。自分の内面や価値観ではなく、数値的な条件や世間の評価に合わせた自己像に自らを押し込めていく構造は、まさに人間性の切断です。
さらに、出会いそのものが「関係性」ではなく「効率」によって管理されている点も重要です。スワイプで選別し、マッチング率で判断し、会う前から「スペックの釣り合い」を計算する。出会いは偶然ではなく、選別の結果であり、恋愛は「感情」よりも「合理性」で進行する。こうした環境下では、他者は「知るべき存在」ではなく、「選ぶべき対象」として消費されていきます。
つまり婚活市場において、私たちは「人間としての出会い」ではなく、「条件に基づく取引」を行っているのです。そしてその取引のために、自分自身も「選ばれる商品」へと最適化されていく。このような構造は、恋愛の場にまで浸透した人間疎外のひとつのかたちであると言えるのではないでしょうか。
第5章 デジタル資本主義と婚活市場──人間疎外を加速させる装置としてのテクノロジー
婚活市場における人間疎外の問題は、単なる恋愛観の変化ではなく、現代のデジタル資本主義によって強く加速されています。ここで言うデジタル資本主義とは、GoogleやApple、Meta(旧Facebook)などに代表される巨大テクノロジー企業が、ユーザーの個人情報を収集・分析し、それを利益化する経済構造を指します。マッチングアプリもまた、この構造の一部として機能しています。
たとえば、アプリに登録した年齢や年収、趣味といった情報だけでなく、スワイプの傾向、メッセージの内容、滞在時間、閲覧履歴までもが蓄積され、アルゴリズムによって分析されます。これにより、ユーザーが「好みそうな相手」が効率的に提示されるようになりますが、それは同時に、「自分が見たい世界しか提示されない」というフィルターバブルを生み出します。出会いの幅が広がるように見えて、実際には「似た者同士で閉じる」構造を強めてしまうのです。
また、アプリの目的はあくまでも「マッチング数の最大化」や「ユーザー滞在時間の増加」であり、ユーザーの人間的な幸福や深いつながりそのものではありません。ここにおいて、恋愛や結婚という人間的で内面的な営みが、企業のKPI(重要業績評価指標)とすり替えられてしまう危険性があります。
つまり、デジタル資本主義は、婚活市場における「数値化」「効率化」「条件重視」の傾向を後押しする形で、人間を“データ”として扱う感覚を自然なものにしてしまうのです。その結果、人と人との出会いはアルゴリズムに最適化され、人間性に基づく偶然性や不完全さが排除されていきます。
このように、テクノロジー自体が悪であるわけではありませんが、その背後にある経済構造が、恋愛における人間疎外をよりシステマティックかつ不可視なものへと変えていることは、見過ごしてはならない点です。
第6章 本当に求めているのは「条件」なのか、「人」なのか
婚活市場において私たちは、無数の「条件」の中から最適な相手を探すという行動に慣れすぎてしまいました。年収はいくらか、身長は何センチか、学歴はどの大学か──まるでスペックの高い製品を選ぶかのように、出会いもまた「性能比較」の対象になっています。そして当然のように、自分自身もまた「選ばれる側」としてのスペックを意識し、外見を整え、プロフィールを磨き、条件を整える努力をします。
けれども、ふと立ち止まって考えるときがあります。本当に私たちが求めているのは、「条件の整った人」なのでしょうか。それとも、「一緒にいるとなぜか安心できる人」「欠点も含めて受け入れてくれる人」なのでしょうか。日常の些細なやり取りの中で笑い合えたり、沈黙を共有できたりするような関係性こそが、心の奥底で望んでいるものではないでしょうか。
条件で選ぶ恋愛には、安心感があります。選ばれる理由も明確で、自分の価値も数値で可視化されます。けれどその裏には、常に「より上の条件を持つ誰か」との比較がつきまとい、ふとした瞬間に「自分は代替可能な存在なのではないか」という不安が顔を出します。その不安は、どれだけ条件を整えても、決して完全には消えることがありません。
一方で、人間的な魅力や相性は数値化できません。むしろ、理屈では説明がつかない、曖昧で不確かな要素こそが、人と人との関係を深めていくのです。私たちはいつのまにか、確実さを求めるあまり、偶然性や不確実性という人間らしさを手放してしまってはいないでしょうか。
本来、恋愛や結婚は「条件の合致」ではなく、「関係性の育成」によって生まれるものです。条件はきっかけになってもいい。でも、その先にあるのは、「あなたとだから過ごしたい」という気持ちであるべきなのです。
第7章 おわりに:スペックではなく、関係を信じる
婚活市場では、効率や条件が重視され、人はしばしば「選ばれるための存在」として振る舞います。その裏で、マルクスが語った「人間疎外」は、静かに、しかし確実に進行しています。 デジタル技術と資本主義の結合によって、出会いはより手軽になった一方で、偶然性や人間的な温かさは後景に追いやられてしまいました。
けれど本来、恋愛や結婚は、条件の優劣ではなく、関係性の中で築かれるものです。完璧なスペックではなく、不完全なままでも共にいられる安心感。そこにこそ、人間らしいつながりが宿るのではないでしょうか。
条件よりも人を、効率よりも関係を。そんな価値観に立ち返ることが、婚活という行為に、もう一度“人間”を取り戻す第一歩なのかもしれません。
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